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10月13日から15日までのわずか三日間でありましたが、
中国は大連を訪れてまいりました。
今回の旅は島根県の直営ディーラーであるスズキ自販島根の関係者、
約30名で行ってきました。
その旅行記を綴ってまいりますが、
いつもの様に与太話の旅行記となりますので、
お暇な方は斜め読みでもしてください。
出発地は広島空港で、益田市からは高速道路を使って
3時間ほどみていれば充分に到着する。
2時間30分でも充分なのだが、高速道路で事故でも発生して
渋滞にでもなればと考えて余裕を持って自宅を出発した。

以前の広島空港は市内にあったが、
現在の新空港は市内から約50km東にある。
今回の海外への旅行の場合は、
時間の余裕を持ってスケジュールを組めるが、
ビジネスだとそんな余裕はないはず。
市内からリムジンバスで約一時間もかかる新空港では、
東京便においての新幹線との競合ではハンディがあるのでは・・・・・・?

出発を待つ中華国際航空機。大連経由北京便となる。
広島から約2時間のフライトで到着する大連へは
中型ジェット約180人乗りのB737が就航している。

席に着いたとたんに、中華の雰囲気いっぱい(^-^)
広島空港を14:30発、2時間のフライトで大連には16:30着だが、
時差が一時間あるので、大連では15:30着となる。
昼食は食べたのだか、
水平飛行に移るとすぐに軽食のサービスが
始まった。

左上は袋に入ったクッキー。
その横は温野菜のサラダ。
メインは白身魚のフライを挟んだクロワッサン。
日本時間の三時でおやつの時間だけど、
今これを全部食べちゃうと、夕食にお腹がへらないだろう。
食事は旅の大事な楽しみの一つだから、
夕食に期待して、クロワッサンを味見の一口だけにした。
だけど、その一口がうまかった〜。
全部食べたい欲望をグッと抑えて、
今日の夕食の予定の火鍋(牛肉と海鮮のシャブシャブ)を、
想像して耐えた松島でありました。

到着ロビーはちょっと薄暗かった。
イミグレーション(入国審査)は写真撮影は禁止となっていて写真は無い。
中国はイミグレーションが厳しいと聞いていたが、
拍子抜けするぐらいにアッサリ通過。
通関も税関申告書を渡すだけでフリーパスだった。
別に偽パスポートだもないし、
持ち込み禁止品を持っているわけでは無いのだが、
役人が厳しい社会主義国のイメージからすれば、
「これでいいのかなぁ?」
なんて思ってしまう。

空港の外はやはり大陸なのか、広々とした感じだ。
周辺には高い山は無く、大陸と感じる。
大連にはほとんど高い山はなく、
と言って平原が広がっているわけではない。
標高2〜300mの丘がつらなる丘陵地帯らしい。

このバスが今回の旅で使用するボルボ製の大型バス。
本日はまずホテルへ直行。
チェックインを済ましてから、夕方の市内観光となる。
さあ、「悠久の大連」の旅の始まり、始まり〜。
続く。
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夕暮れが迫る大連の市内へバスは進みます。
まず驚きは、自動車が比較的新しくきれいなこと。
我々がイメージしてきた中国の古い自動車が走り、
自転車やバイクが群れを成して走る様は、
全く無い。

整備された道路、走り去る高級車、
英語の看板

高架道路を車が埋め尽くす、夕方のラッシュ。
上の二枚の写真を見て、ここが中国の大連だと思う人は何人いるのだろうか?
いかに我々が間違った過去の中国に対するイメージだけで、
判断していたかを自覚させられた。
中国の経済発展は、恐ろしく早いスピードで進んでいるようだ。

今回宿泊した「万達国際飯店」
中国の大手建設会社の経営するホテルだと言うことだ。

ヨーロッパタイプのシティホテルだが、
エントランスに吊り下げられた
赤いちょうちんが中国らしい。

四星クラスのホテルで、広さも充分!!

アメニティも少し貧弱だが、一応揃っている。

トイレの水洗タンクの上に置いてあるグッズ。
なぜか男性用の靴下、パンツ、髭剃りセットなど身の回り品が、
すべて用意されて売っている。

問題ありなので、画面を小さくしました。(^.^)
書いてある漢字から想像すると、
精力剤やら豊胸パットなど、訳わかん物も売っている。
うう〜ん、あやしい!!

ロビーにある結婚式の案内看板。
今日は 李辰庭君と 傳微ちゃん の結婚式があるみたい。(^o^)

中山広場の一部
ここ大連は、日露戦争後40年間にわたり、
日本が統治していた歴史があり、
今も数々の当時の建物が残され利用されている。
満州鉄道本社もあり、60年前には三万人の日本人が暮らしていた大連である。
日本人のお年寄りには大連生まれの方も、
かなりいらっしゃる。

1914年に完成した旧ヤマトホテル入り口。
現在 大連賓館(やはりホテル)

90年以上前のシャンデリアはそのまま使われている。

さて今晩の夕食は、火鍋。
手前の味のついた鍋に、きのこや野菜、牛肉、海鮮などを入れ、
黒っぽいタレをつけて食べるのだが、
これがなかなかいける。
青物野菜も豊富だし、日本でも同じ内容でかなり受けるのでは?
青島(チンタオ)ビールにアサヒ(中国製)ビール、
紹興酒に白老酒・・・・・・。
しっかり食べて飲んで満足した、一日目の大連の夕食でした。
続く。
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大連は日本と深いつながりがある都市だ。
この日はそんな場所を観光した。
南満州鉄道株式会社(満鉄)は、
当時(明治39年設立)の日本最大の国策会社で、
鉄道経営においては第二次世界大戦末期には
路線距離1万kmに達していたし、
炭鉱の経営や製鉄所も運営していた。
その本社が大連に有ったわけだ。
その満鉄は今は中国の国鉄となっているが、
その旧満鉄の工場に保管(ただ置いてあるだけかな?)してある
特急「アジア号」を見学しにいった。
別に観光コースにも入っていないようだし、
普通の道を入って行き、工場の様な建物の裏門にバスは止まった。
間違いなくここは観光場所ではない。
だって、日本人が行く観光地には必ず有る、
土産物屋がないし、土産物を持って近づいてくる売り子もいない。
バスの駐車場もないし、他に観光客もいない。
門の前には咥え煙草のオッサンが一人いて、
バスの中から現地ガイドが手を上げると、
門の鎖をはずした。
私達はオッサンについて中に入り、
あるトビラの前についた。
オッサンが鍵を開けると・・・・・・。

デ、デ、デカイ!!
目の前にあらわれた特急「アジア号」
当時日本国内では最も早い列車でも時速67kmだったのが、
アジア号は平均時速82.5kmで大連ー長春間701.4キロを
8時間30分で走り抜けた。
当時の新幹線の感覚だろう。

アジア号の運転席の石炭の投入口
とにかくデカイ機関車だった。
動輪が私の背と比較してみると2m近くあった。

これで大きさが判ってもらえるだろうか。
見学が終わって外に出ると、オッサンはすぐに鍵を閉めた。
あくまでもこれは想像だが、
オッサンは国鉄の職員で、裏のバイトで観光業者と組んで
アジア号を見せているのではないだろうか・・・・・・・?
多分そうだと思う。(^.^)

枕木や線路は変わっていても、
これは当時の満州鉄道の軌道そのまま。
右横に見える建物の中に、アジア号がある。
さていよいよ次は、今回の旅で一番期待していた
日露戦争での数々の史跡がある旅順の観光である。
続く。
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旅順観光を書き込む前に、
ご存知の方は面倒くさいかも知れませんが、
ちょっとここにまつわる歴史をおさらい。(^_^)
明治28年に日清戦争の勝利によって、手に入れた遼東半島。
そこの半島に有る大連港は商港として、旅順港は軍港として重要な位置を占める。
しかしアジアへの南下政策(中国と朝鮮半島の植民地化)を進めていたロシアは、
三国(ロシア・ドイツ・フランス)干渉によって、
遼東半島の放棄の圧力を日本にかける。
清国に勝利したと言え、列強三国に対抗する力の無い日本は、
泣く泣く遼東半島の権利を放棄させられる。
するとロシアはその遼東半島を清国から強引に租借してしまう。
そしてあからさまな南下政策を進めてくる。
満州の権利をロシアに認めるかわりに、
日本の朝鮮半島の権利を認める提案を蹴られた日本は、
(帝国主義の時代とは言え、他の国の権利の取引なんてひどい話だが・・・。)
日本をも狙うロシアの圧力の危機感に、
当時世界最強と言われた軍隊を持つロシアに対して、
明治37年ついに日本は宣戦布告するのである。
日露戦争の開戦だが、戦いの地はロシア軍が進軍している満州となる。
すると日本軍は日本海を渡って、兵や武器を送り込まねばならない。
だから日本海の制海権は絶対条件だったのである。
その時すでに日清戦争後に着々と増強していた日本海軍連合艦隊は、
ロシア旅順艦隊に戦いを挑む。(黄海海戦)
連合艦隊は勝利して、旅順艦隊は旅順港へ逃げ込む。
しかし頑強な砲台で守られた旅順港から出てこない旅順艦隊に、
手を焼く連合艦隊。
そしてついにロシア海軍の中心であるバルチック艦隊が
連合艦隊と決戦を挑み、バルト海から日本へ向けて出動する。
連合艦隊とバルチック艦隊の戦力はほぼ互角。
がっぷり四つに組んでもどちらの勝利かわからない。
力は半減したとは言え、もし旅順艦隊がバルチック艦隊と合流すれば、
連合艦隊の勝利は難しい。
連合艦隊が破れ、日本海の制海権が奪われれば、
ロシアとの戦いは圧倒的に不利となる。
よってバルチック艦隊が到着するまでに旅順艦隊の殲滅、
つまり旅順の攻略が絶対命令となる。
そして地上の日本陸軍による旅順攻略が開始され、
それにあたったのが、乃木希典率いる陸軍第三軍だったのである。
長々となってしまったが、
この旅順の戦略的な価値を理解していないと、
なぜあれほど日本軍の犠牲を重ねても、
旅順にこだわったのが理解してもらえないと思う。
大連と同じく、旅順にも高い山はない。
2〜300mの小高い丘が旅順の港を囲むように並ぶ。
ロシア軍は旅順租借後、その各丘に頑強な防御陣地を構築していた。

東鶏冠山(ひがしけいかんざん)北保塁跡
203高地とともに、激しい戦闘が行われた。
こちら側にロシア軍は位置し、
壁の向こうの丘のふもとから上に上りながら攻めてくる日本軍を、
この保塁に守られながら、
機関銃で突撃する日本兵をなぎ倒して言った。

頑強に作られたロシア軍兵舎跡。
ロシアは旅順港の重要性を強く認識し、
租借後、非常に頑強な防衛設備を作っていたのがうかがえる。
東鶏冠山をふもとから見ると、
今は木々が生い茂り見通しは悪いものの、
木々が伐採されていた当時は、なだらかな傾斜地に
ほとんど身を隠す場所はなく、
ここを上りながら突撃するなんて、
自殺と一緒だと愕然とする。
しかし日本軍はこの突撃を無能にも何度でも繰り返し、
多くの兵が倒れていく。
正確な数字がどうかわからないが、
説明によるとこの旅順をめぐる戦いで、
日本軍死者約15.000名、ロシア軍死者約5.000名だと言うことだ。
むむっ・・・・・・・・・・・・・。(-_-;)

ロシア軍コンドラチェンコ少将の戦死場所
守るロシア軍のなかで、戦略家で一番有能と言われた
コンドラチェンコ少将はこの場所で、
日本軍が持ち込んだ秘密兵器28センチ砲の砲撃で戦士する。
彼はロシア軍総司令官ステッセル将軍が、
旅順に立てこもっての防衛を考えていたのに対して、
周辺防衛陣地が攻略されてしまえば、
旅順は一気に落ちると理解していた。
彼の戦死も日本軍の苦しいながらの勝利に幸いした。
無能なただ突撃の攻撃で、
無残な犠牲者を出し続けても攻略できないロシア軍の防衛陣地。
ついに、日本より児玉源太郎大将が現地に乗り込み、
一時的ではあるが乃木大将から指揮権を取り、
防衛陣地の中央突破を諦めさせ、
203高地(標高203mであったから)の集中攻撃を命令する。
203高地にも防衛陣地はめぐらされていたが、
東鶏冠山よりは規模は劣っていた。
それを早く見抜いた児玉源太郎でもあった。
また面子にこだわり中央突破を主張する各指揮官を、
一喝しての作戦変更命令だった。

203高地塹壕跡
右下の斜面から突撃する日本兵を、
この塹壕から機銃掃射する。
そして第四次総攻撃で、ついに203高地はおちた。

203高地より旅順港を望む。
この旅順港を望む為だけに、
日本軍とロシア軍の激しい戦いに多くの戦死者が・・・・・・・。
この地に立って旅順港を見つめる私も、
いろいろな考えが頭を駆け巡った。
なぜこの視界が必要だったかを説明すると、
203高地のふもとまで28センチ砲を移動して、203高地越しに砲撃を開始する。
まず旅順港に停泊する旅順艦隊に向けてだ。
目標が見えなければ、それこそ目盲撃ちだ。
しかしこの地に観測所を設けて、着弾点の修正を行いながら砲撃すれば、
ピンポイントまでとは言えないが、正確な砲撃となる。
あっと言う間に、旅順艦隊は停泊したまま壊滅。
その後は旅順の重要施設(司令部や兵器庫)と思われる箇所を、
観測所からの着弾点の報告を受けて次々と修正砲撃していけば
防御するロシア軍自体も壊滅する。
そして旅順を防衛するロシア軍総司令官ステッセルは、
降伏を申し出た。
続く
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203高地に立ち、
旅順港を見下ろしながら激烈な戦いに思いを馳せた後は、
降伏を申し出たステッセルと乃木が会見をした、
水師営を訪れた。

民家を野戦病院として使用していたが、
急遽、会見所として整えられた。
当然この建物は、写真を元に再建された物。
中には当時の戦いの様子の写真が張られていて、
その写真を説明してくれるのだが・・・・・・。
確かに、中国を奪い合うためにロシアと日本が戦ったのだから、
中国側からすれば観光地として日本人がゾロゾロ訪れるのは、
「冗談じゃあねぇよ。」って感じだと思う。
だけどそれでお金を落としていくのだから、
最後に日本軍人が中国人の首を切り落とす寸前の写真を掲示して、
「当時の日本も中国人に対して卑劣な仕打ちをした。」
ってアピールするのはどうかな?
観光客の誘致を大事に考えてはいるけど、
反日教育はもっと大事ってことなのか・・・・・・?

会見をしたテーブル。
筆でその時の記念として日付とともに書いてはある。
多分、本物か、、、、、、、なっ?
本日の昼食は、その会見場所のすぐ横にあるレストラン。

玄関を入ると、食材がズラリと並べてある。

海鮮からきのこ、野菜、ピータンまで
たくさんの種類がある。

説明では、この地方の田舎料理だと言う。
この料理も含めて、食事はとってもおいしかった。
大連は中国の北部となるが、
この地方の中国料理は日本人に抵抗なく受け入られるらしい。

大連湾の向こうに見えるビル郡。
大連は今、正にバブルだろう。
だけどちょっとおかしな感じがする・・・・・・。
次回は、そのバブルを含めて街中編に入っていく。
続く。
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大連に到着したときから、中央分離帯の有る道路や立ち並ぶビルを見て、
私が抱いていた中国のイメージと大きく違うのにびっくりした。
確かに経済発展が著しく、インフラの整備は進んでいるのは
新聞やテレビなどで知ってはいたものの、
こんなに発展整備されているとは想像を超えていた。
しかし、ホテルの上層階の窓から大連の街並みを見ると、
この発展にもいろいろの事が見えてくる。

これが大連の今までの街並みなのだろう。
道路も舗装されていないし、ゴミもあちこちにあるが、
人の生活感がしっかりと感じられる。

更地になりつつある一角。
道路跡から想像すれば、
ここにも昔の街並みが有ったのだろう。

そしてビルが立ち並ぶ。
まさに大連はバブルの時代か?
この発展している大連の街中を見ると、
何か違和感を感じてしまう。
私は数年まではインフラも貧しく所得も低かった国や地域が、
経済的に急成長を遂げ、街も人の生活も大きく変わっていく過程
を幾度も見ている。
20年以上も前の韓国。
15年前のインドネシア。
そして今年行ったインド。
これらがそうだった。
この国々の成長時代に訪れると、
そこには旧新、汚いきれい、先進古い、
などの混在があり、それが一緒になりながら
そして変わっていくバイタリティを感じた。
しかし大連はちょっと違う。
道路には、比較的新しい車ばかりで、
20〜30年前の骨董品の様な車は走っていない。
街中は古い建物から、一気に高層のビルに立て換わりつつある。
歩く人々は皆こざっぱりとした服装で、
携帯電話を持つ人は多い。
つまり、中間が無いのである。
発展の途中が見えないのである。
車を例にあげるならばなら、自転車しか買えなかったのが、
小さなオンボロの中古車をやっと買える様になった。
そして次は安い大衆車の新車が買えた。
最後には、高級セダンを乗り回せるようになった。
そんないろんな生活レベルの成長過程での車が、
ぐちゃぐちゃっと混じって走っていないのである。
なぜかほとんどが、きれいなそこそこの車が走っている。

この写真でもわかる。
あくまで私の想像だが、
これはあまりにも短期間に成長している現象ではないだろうか?
大連全体の、また人民全体のレベルがじょじょにアップしているのではなく、
土地バブルに乗ったり、急成長している職種や会社に関係している人だけが、
高級アパートに住み、携帯電話やパソコンを持ち、
高級車に乗っているのではないだろうか・・・・・。
持っている人と持ってない人。
この二種類しか無いような感じなのだ。
違うぞ、違うぞ、これが今の大連ではない。
せっかく初めて訪れた中国。
経済が急成長してインフラの整備が進み、
高層ビルの立ち並ぶ街も確かに大連。
でもその前の、いや今もある、時の流れとともに
ゆったりと変わってきた大連もあるはずだ。
それを見ないと・・・・・・。
そしてふと思い出した。
今回の最初に掲載した、ホテルの窓から撮った街並み。
あの街が今までの大連の街だろう・・・・・・。
よし、あの街に行ってみよう。
あそこならホテルから近いし、朝の出発前に行ってみよう。
そうして、出発集合する30分前にホテルを出て
窓から見える街並みの方角へ歩いて行ってみる。
そしてその街並みに入って行った松島だった。
次回は、その街中を歩いた報告です。
続く。
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ホテルのエントランスを出て裏側に回り、
従業員入り口の前を通って裏道に出た。
入り口に立っているオッサンが怪訝な顔をして見るが、
一目見れば日本人の観光客とわかるので、
そのままスルー。

発見!!手作りって感じの運搬車。
裏通りに出るとすぐにこの運搬車を発見した。
後ろの天秤棒で果物を運ぶ人ともに、
大連の普通の顔が見えてきた。

従業員の駐輪場
「あたしゃあ強さだけがとりえです。」って主張している老兵の横に、
コジャレタ自転車が並ぶ。
う〜ん、これも今の大連を象徴してるぞ。

これは饅頭(まんとう)屋さん。
中国のファーストフードかな?

饅頭屋さんの番犬君。
スターウォーズのヨーダを思い出した。

さてこの奥に行って見ましょう。

これこれ、いいねぇ!
なんかゴチャゴチャして、雰囲気一杯。(^_^)
おばちゃんが奥でドア開けている所が、
共同便所なのかなあ?

これハミガキ粉の宣伝ポスター?
モデルのお姉ちゃんの国籍がビミョ〜・・・・・。

違う道に入ってみた。
決してきれいじゃあないけど、
何か懐かしくて安心できる。

子供の頃の記憶にある風景と一緒だ。

本場のバグ君に会いました。(^o^)
尻尾振って愛想の良かったパグ君でした。
犬までは反日教育はしてないみたいです。(^_^)

今回の旅で一番気に入っている写真です。
右のおばあちゃんの前に有るのはニンニク。
皮をむいたニンニクが赤いタライに入っている。
今は朝の8時過ぎ。
多分雑貨屋さんと思うが、朝の世間話に話の花が咲きます。

機動力ありそう!
BEJING(ペキン)と言うメーカーのバイク運搬車。

こりゃあどう見ても自転車屋だ。
工具はたいして無かったけど・・・・。

リムの振り修正をしていた。
写真を撮ると、笑顔で何か話しかけてくる。
残念ながら中国語は判らないが、決して悪い雰囲気ではない。
多分「こんなのが珍しいのかい?」って言っているのでは?

多分、靴の修理屋さん。
道の奥だったので近づいてはいないが、
多分靴の修理をするのではと思う。

これはクリーニング屋さん。
お姉ちゃんがアイロンをかけている。
ここで出発まであと五分となり、あわててホテルへ帰った。
確かに、203高地や水師営の会見所など、
歴史の跡を観光したのも良かったけど、
立派なビルが立ち並ぶ街中では無く、
こんな大連の普通の街をもっと歩いて見たかった。
メモ帳を持って筆談できれば、
もっともっといろんな大連をいや中国を感じられただろう。
続く。 |
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さて旅行記も最終話となったが、
最後にいろいろなネタのご披露です。
観光客はおらず、地元の人がほとんどの、
大連の一番人気店で海鮮料理を食べた。

中華料理の定番、回転テーブル。
さて今はまだおつまみ程度の物しか出ていない。

一気に出てきました。
特別料理として、ヒラメのさしみが出ました。
中国の方はさしみを食べる習慣はありません。

鱸(すずき)の丸揚げ甘酢あんかけ。
スズキの販売店がすずきの丸揚げ食うってのは、
あまりしゃれになりまへん。

ひらめのアラで作った中華スープ。
コショウをふって、ベリーグッド!!

アサヒビール(現地生産)と青島(チンタオ)ビール
青島ビールはアルコール度も低く、非常にアッサリとしている。

こんなアサヒビールもありました。

ギブミーチョコレートの添乗員、○本君。
(カメラを向けると無意識に受け狙いのポーズを取ってしまう。)
今回お世話になったトッ○ツアーの添乗員の○本君だが、
ギブミーチョコレートの○本君と命名した。
ツアーの客が免税店や土産物店で買い物をすると、
現地旅行会社や現地ガイドに○%のバックフィが入るのは当たり前。
しかし日本からの旅行会社の添乗員にはそんな物は全くない。
バカバカ買い物するお客さんと、うれしそうにしている現地ガイドを見て、
○本君はポツリと独り言を言いました。
「僕にもギブミーチョコレート!!」(^O^)

この黒妹ってなんでしょう?
正解は、ホテルの歯ブラシについているハミガキのチューブ。
決してハミガキそのものは黒くありません。
なんで黒妹なんでしょうか?

キャップの頭のとんがりで、
つついて穴を開けるタイプでした。
確かに昔のチューブはこのタイプが多かった。
さてホテルを出発するフロントでの清算だが、
これがまた不思議なやり方で・・・・・。
まずカードキーを差し出し部屋番号を伝える。
次にミニバーの上には飲んだ物を申告する伝票が無かったので、
対応するフロントのお姉ちゃんに口頭で、
「ミネラルウォーターを一本飲んでいます。」と伝える。
普通ならここで清算の計算が始まるのだが、
私の申告を聞いただけで書きとめもせず
コンピューターも触らずにどこかに電話をかける。
電話の後、私の清算はそのままで
待っている次の人に部屋番号を聞く。
そうしてしばらく仕事は止まる。
すると電話がかかって来る。
それを受けて聞きながら、今度はボールペンでチェックする。
また彼女は何か電話で伝える。
それが終わるとやっとコンピューターを操作して、
伝票が発行されお金を払い、清算終了だ。
次の人の生産も電話がかかってきて、それからコンピューターの操作に入る。
これってどういう事・・・・・。
正解は、
チェックアウトする客の部屋番号を聞くと、
お姉ちゃんはその客の階のスタッフにつながる電話をかける。
受けたスタッフは部屋番号を聞き、
スタッフはその部屋に行って、中をチェックして
フロントに電話して報告をしている訳だ。
つまり、客の自己申告は信じないで、
スタッフが直接部屋に行ってチェックするシステムとなっている。
これって残念な事に、
日本人を含めチェックアウト時に嘘の申告をして
清算を済ませて出て行く客が多いのでしょうね。
次は土産物屋の話
ふとお香と線香が並んだ棚があったので、
お土産にいいかなと思って、一番手ごろな(安そうな)線香を手に取った。

プラスチックケースに入って長さは15センチも無い。
これを手に取ると、売り子のお姉ちゃんが近づいてきた。
なかなか流暢な日本語で
「お土産ですか?あなたがつかうのですか?」
と聞いてきます。
「お土産を考えているのだけど・・・・・・。」
とひっくり返して裏に付いている値段札を見ると、
240元!!
はぁー?た、た、高い!
240元を日本円に換算すると、
一元は約15円です。
すると15円×240元=3.600円
大連のサラリーマンの平均月収が30.000円って聞いている。
するとこの線香が
平均月収の一割以上もするの?
あきれる松島にお姉ちゃんは、
「これはとても良い物です。良い物は高いです。」
いくら良い物たって線香だよ。
プラスチックのケースに入った月収の一割以上の線香なんておかしいよ。
そう思ってあきれて笑っていると、
するとお姉ちゃん
「あなたの予算はいくらですか?」
「予算は関係ないよ、高すぎるよ。」
「これは良い物だから高いのですが・・・・。
それでは200元にします。」
「あのねぇ、200元でも高いの!」
「ではあなた、いくらならいいですか?」
「いくらとかではなくて、もともと高すぎるの。」
「私あなたに安かったと思って欲しい。
大連に来て良かったと思って欲しい。
そしたらあなたはもう一度大連に来たいと思う。
そうすると私達もとてもうれしい。
だから150元でどうですか。」
何じゃこの話の持って行き方は、すごい飛躍した話からの値引き!!
「いやいらない、いらない。」
もうこの線香に240元の値札がついていること事態めちゃくちゃ。
しかし元の単位と海外旅行という事も有って、
冷静な価格の判断が出来なくなる日本人がいるのだろうなぁ・・・。
私がそこを離れようとすると、
彼女は線香を持ったまま私に追いすがります。
「いくらならいいですか?私安くします。
安かったと喜んでもらいたい。
大連良かったと思って欲しい。」
線香一箱売るのに、この粘りです。
すげぇなあ・・・・。と感心しはじめました。
すると彼女は、
「私、心で商売します。心が大事です。
100元にします。
心で100元にします。」
う、う、うまい!!
まいった!!
「心で売る。」なんて
セリフが出るとは・・・・・。
240元が半分以下の100元になるなんて、
最初の価格はぼったくりもいいことだし、
100元になっても、日本円で1.500円もする線香なわけない。
だけど、もうまいりました。
姉ちゃんの粘りと、その話術に。
私は、線香に100元はらったのでは無く、
姉ちゃんに100元払ったつもりでその線香を買ったのでした。

スマートな公安(警察)のパトカー
車もカラーリングのデザインも、とってもスマート。
一般の人からとても怖がられている(嫌われている(^.^))公安とか
人民解放軍とか聞くと、無骨な頑丈なイメージがあるけど・・・・。

街角の揚げパン屋さん
中国のファーストフードかな?

大連国際空港のイミグレーション(出国審査)
イミグレーションは写真撮影は禁止。
だからこれは知り合いの肩越しに撮った、盗撮!!(^_^)
今までいろいろな国のイミグレーションを通過した経験があるが、
まずセキュリティチェックを受けて、
次に窓の無い少し暗くて天井の低い部屋で、
出国審査を受けるパターンだった。
しかしここ大連では写真のように、
広告看板がある天井の高いだだっ広い場所で、
いきなり出国審査が始まる。
出国審査が終わると写真の右側に進み、
そこでセキュリティチェックを受ける。
ちょっと違うパターン??????

搭乗ゲート前のお土産屋
みなさんここで残った元を使い切ってしまおうと買いまくり!!(^.^)
お菓子から工芸品まであるが、
やはり価格はぜ〜んぶ高め。
中国の日本人観光客相手の価格は、
かなりふっかけてあると考えてもいいと思う。
物によっては10倍以上は当たり前だろう。
日本の物価で考えてしまうと納得してしまう価格なのだが、
現地の貨幣価値や物価を考えれば・・・・・。

中国版、グリコのコロン(可球)とポッキィ(百奇)
イメージからコロンが可球と言うのはわかるが、
ポッキィの百奇ってのは・・・・・・?

居眠り中の空港警備のお兄ちゃん
夕べは遅くまでやってしまったのか、
壁に寄りかかって居眠りしている。
上司に見つかる前に起きろよ!!

帰りも使い込んだ感のあるB737。
機体に書かれた「中国国際航空公司」の文字が草書体?ってのが
いい雰囲気を出している。
 
水平飛行になるとすぐに出される機内食
左はポーク(豚肉)の煮込み、右は煮魚(ヒラメ)
味の方は・・・・・・・?
さてこれで旅行記も最後となった。
初めて中国を訪れ、日露戦争の歴史の跡もこの目で見れたし、
ほんの少しではあるが、普通の中国の人の街中にも入ることができた。
ただ残念なのは、もっと人との触れ合いができていたらと思っている。
今度は、メモ帳とボールペンを持って
人の中に入る旅をしよう。
やはり旅は人との触れ合いが一番だから。
長い間、駄文にお付き合いありがとうございました。
完!!
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